全国で唯一、奥能登・珠洲に受け継がれてきた揚浜式製塩は、まさに海の賜物。その苛酷な作業の際に歌われた「砂取節」の祭りです。
2008年に国指定重要無形民俗文化財となった「能登の揚浜式塩田製塩の技術」。春先、塩作りに取りかかる前に粘土で塩田の底を固め、そこに遠方から小舟で運んだきめ細かな砂を敷き詰める。砂の善し悪しが塩の出来を左右するため、命懸けでの砂の運搬は大切な作業だったという。昭和初期の塩田風景の写真には、すべて人力による苛酷な揚浜式製塩が刻まれている。
奥能登の揚浜式製塩の歴史は古い。江戸時代初期には835もの塩田があったというが、加賀藩が塩作りを奨励したため、耕地に乏しい奥能登の人々が重労働の塩作りに精を出し、奥能登全域で揚浜式製塩が行われた。
波風冷たい春先の小舟での砂運び、灼熱の炎天下での塩作りなど苛酷な揚浜式製塩の際、雇われた人達が歌った労働歌が「砂取節」だ。明治に入って化学的製塩が発達、揚浜式製塩が廃れるとともに「砂取節」も消滅しそうになっていたが、昭和30年代に珠洲市馬緤町の元教員・坂長作氏(明治17年生まれ)の長老からの聞き取りによって「砂取節」が遺された。昭和37年には珠洲市指定無形文化財に、昭和43年には石川県指定無形民俗文化財に指定されている。馬緤町には「砂取節発祥之地」と「砂取節」の一説を刻んだ石碑がある。
「おらは雇い人だ しかたの風だ / お日の入る場を 待つばかり」
「しかたの風」とは西から吹く風で、春先に小舟で砂を運ぶ際に冷たい西風に煽られると転覆の危険性があり、雇われ人達が厳しい労働環境を歌い継いだ歴史が垣間見える。
イベント名 | 砂取節祭り |
参加人数 | 500人 |
日程 | 2018年8月13日(月) |
場所 | 珠洲島馬緤町 |
主催 | みんなで楽しもう「砂取節」祭り実行委員会 |
協力 | 砂取節保存会 |