9月7日(水)、午前中に七尾の能登観音埼灯台を訪れた直木賞作家の安部龍太郎さん。午後からは珠洲市狼煙町に移動し、今度は能登さいはての岬に佇む禄剛埼灯台を探訪しました。禄剛埼灯台には全国で唯一「菊の紋章」が刻まれたプレートが掲げられ、日本人の設計による初めての西洋式灯台との説を裏付けている―とも言われていますが、詳細な記録は残っていません。
案内役は、明治時代に灯台守をしていた小坂長之助氏のひ孫・河崎倫代さんで、まだ灯台看守の官舎があった頃の記憶や、灯台関連の建造物などについて語りました。
河崎倫代さんは私財を投じ、道の駅狼煙の隣にある「能登さいはて資料館」を管理運営しています。金沢市在住のため常時公開はしていませんが、先祖の遺品などを丹念に調べる中で、禄剛埼灯台に関する貴重な史料の数々を発掘し、資料館に展示しています。
狼煙町の小坂長之助氏が、当時の逓信省・航路標識管理所から明治32年に灯台看守助手伝習を命ぜられた“辞令”や、金色の灯台マークが入った看守の制帽など、歴史的価値を感じる展示に惹きつけられます。
資料館には、灯台だけではなく昔の揚げ浜式塩田や漁業の様子など、里山里海の素朴な暮らしを撮影した写真も多数展示されています。
河崎さんがぜひ見て欲しいと安部龍太郎さんを案内したのは、狼煙町にある親戚宅。敷地内にある白壁の木造倉庫です。禄剛埼灯台の敷地には明治時代に建造された灯台看守の官舎があり、倉庫もありました。投光器などが自動化され遠隔操作できるようになったのが昭和38年(1963年)。その後、官舎は取り壊されましたが、どんな経緯か、白壁の倉庫が小坂家に移築されていた様です。
河崎倫代さんは、この貴重な倉庫を灯台の敷地に移築して戻したいと願っていて、話を聞いた安部さんも「元々の場所に戻すのが一番良い」と頷きました。
日本海を一望する高台の禄剛崎は、強い風雨にさらされます。それに耐えきるかのように、木造倉庫内部の柱や梁は極めて強固な構造になっており、外壁の軒部分も強い風雨を逃がすような円弧上に作られているのです。
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貴重な史料や文献、建物などを訪ねた安部龍太郎さんは、夕暮れ迫るころ狼煙町を後にして珠洲市の中心部・飯田町を訪れました。目的は、2017年に開催された奥能登国際芸術祭の常設作品の鑑賞です。八木家の屋敷に製作された金沢美術工芸大学アートプロジェクトチーム・スズプロによる「静かな海流をめぐって」。中でも、海から見た珠洲の歴史民俗や自然、暮らしを蔵の壁面に描いた「奥能登曼荼羅」は、圧巻の一言。もちろん禄剛埼灯台も描かれており、壁画の表現の深さ、豊かさに、安部龍太郎さんも嘆息を漏らしていました。
能登さいはての珠洲。再先端の岬に佇む白亜の禄剛埼灯台には、深い歴史とロマンが脈々と流れているのです。
イベント名 | 安部龍太郎氏の灯台探訪 |
日程 | 2022年9月7日(水) |
場所 | 珠洲市狼煙町 禄剛埼灯台、能登さいはて資料館 |