元日に発生した最大震度7の能登半島地震。珠洲で被災した飲食店主や被災者自身が、避難所向けの夕食弁当を作る支援事業の様子を伝えます。3月中旬に始まり、5月中旬までは1日あたり最大で約2,500食を提供。現在は提供個数を縮小していますが、家や仕事を失い、自炊出来ない人達がまだ珠洲市には沢山いるのです。
5月に放送した番組は下記YouTubeをご覧下さい。この記事は動画では伝えきれない内容を掲載したものです。
https://youtu.be/2dNgSdqqKgM
能登半島地震で甚大な被害を受けた珠洲市では、家や職を失った被災者も多い。避難所での生活を強いられる人も多く、辛うじて自宅で寝泊まり出来ても断水や下水道破損で水を使うこともままならない。そうした被災者に向けた夕食弁当を作る事業が3月中旬に始まった。災害支援の国の予算を使う被災者弁当事業を取り仕切ったのは、珠洲市三崎町伏見の古民家レストラン典座の坂本信子さん。2023年5月まで5年半にわたり能登丼事業協同組合の理事長を努めた。店舗は営業できる状況だが、今の状況では客が来ないため無収入だ。
この日作る弁当は1,250食。同じ珠洲の飲食店仲間と協力し、早朝から弁当作りに励んでいた。被災者向け弁当におかずやご飯を詰めるのは、やはり珠洲の被災者達。避難所から健康増進センターの調理室に毎日通い、パートで弁当を作っていた。僅かながらでも収入につながる上、何より皆で仕事をしていると気が紛れると話していた。
調理担当の一人・浜中康男さんは、上戸町南方のレストラン浜中を経営しているが、店舗が大きく破損した上に被災したスタッフが離散して営業再開は当面望めない。家族は金沢に避難してみなし仮設住宅で暮らしており、自分だけが珠洲に残って弁当作りを担っている。この日は米の炊飯担当で、朝から120kgの米を炊き続けていた。
毎日の弁当メニューを考え、発注しているのが外浦側にある庄屋の館店主・和田丈太郎さん。店舗と住宅があるのは珠洲市真浦町。元日の能登半島地震では海沿いの国道249号線が大規模な土砂崩れで埋まり、一時孤立した集落だ。輪島側に抜ける八世乃洞門新トンネルは早々に啓開されたが、東側の仁江地区に抜ける逢坂トンネルは、約800m全体が大規模土砂崩れで埋まったまま。開通の目処は立っていない。
庄屋の館は奥能登の新鮮魚介を提供する名店だ。特に奥能登ならではの多彩な海藻を味わえる「海藻しゃぶしゃぶ御膳」は是非食して欲しい逸品。だが、店は地震の被害が大きく、当面は休業せざるを得ない。
午後2時。内浦側の蛸島地区の避難所2ヶ所に弁当を届けた和田さんは、山越えの曲がりくねった細い道を抜けて外浦側へ。海が見え始める大谷川沿いの集落は倒壊家屋が目立ち、農地に鉄板を敷いた仮設道路をゆっくりと走る。
実は和田さんの家族も金沢に避難し、みなし仮設住宅で生活している。珠洲の弁当事業を回すため、和田さん一人が珠洲に戻り大谷小中学校の避難所で寝泊まりする2拠点生活を営んでいる。がらんとした体育館に段ボールで間仕切りされた一角が、“和田さんの部屋”だ。
輪島市町野町の曽々木地区から八世乃洞門新トンネルを抜けると珠洲市真浦町に入り、海沿いに垂水の滝がある。断崖から流れる水が海に降り注ぐ観光名所で、近くに数軒の飲食店や旅館があり、庄屋の館も近くにある。断崖が日本海に迫る風光明媚なドライブルートだが、その急峻な地形が大地震による落石や土砂崩れを招いた。過去の地震でも何度も落石被害に遭っている場所だ。
この日の弁当作りが一段落し、大谷の避難所で和田さんに話を聞いた。
地震で建物内部の柱に亀裂が入ったほか、崖に面した店舗裏側ではエアコンの室外機が軒並み落石で破損してしまった。何より、仁江海岸側に抜ける逢坂トンネル全体が埋まっているのが痛い。この山手に浄水場があるのだが、近づくことすら出来ず、真浦町の暖水解消は極めて困難な状況だという。
飲食店の営業再開には水道復旧は絶対条件だが、先が見通せない。震災前は輪島から観光バスで白米千枚田を観光し、真浦町で昼食。午後からは仁江海岸の揚げ浜塩田や奥能登国際芸術祭作品を鑑賞しながら、珠洲のさいはて、狼煙の禄剛埼灯台に向かう観光ルートが人気だったのだが…。
それでも和田丈太郎さんは、何年かかっても奥能登の海を望む庄屋の館を再開させたいと話す。
イベント名 | 珠洲市・被災者が作る避難所向け弁当事業 |
日程 | 2024年3月〜 |
場所 | 珠洲市 |