能登町宇出津にあるふくべ鍛冶。明治41年創業、石川県に唯一残る正統派の鍛冶屋として包丁を始め様々な刃物を作っています。能登半島地震で店舗や工場もダメージを受け職人達も被災しましたが、いち早く事業再開に漕ぎ着けました。それは従業員の暮らしを守るためであり、鍛冶屋の事業を継続させるためでした。4代目の干場健太朗さんや職人達の「今」を伝える番組は、宇出津のしたひら鮮魚店と共に6月9日(日)に放送しました。
https://youtu.be/LntWS9hWRMo?si=5T9SxgSE9R3azkBT
日本海に突き出す能登半島の東、内浦の港町が能登町宇出津。天然のいけすと言われるほど海の幸豊かな富山湾に面し、定置網漁などの漁業が盛んな町です。この地で100年以上前から魚を捌く包丁などの刃物を作り続けてきたのが、ふくべ鍛冶。刃物製造で有名なのは岐阜県関市や新潟県燕三条で、国内でもトップクラスの圧倒的生産量を誇ります。
しかし鍛冶屋に求められる仕事は、多様なのです。
ふくべ鍛冶4代目の干場健太朗さんは、元々は能登町役場に勤務する公務員でした。私が初めて宇出津の店舗を訪れたのは、2001年に遡ります。宇出津商店街の店は母の絹子さんが守り、父の3代目・干場勝治さんは山あいにある工場で黙々と刃物を鍛える職人でした。
しかし2013年5月に絹子さんが病で亡くなり、ふくべ鍛冶は廃業の危機に直面。翌2014年、健太朗さんは家業を継ぐために役場を退職し、父に師事したのです。
大量生産で地域の一大産業として根付く関や燕三条とは異なり、過疎化が進む奥能登で鍛冶屋が生き残る道を開拓したのが、干場健太朗でした。
興味がある人は、宇出津のふくべ鍛冶を訪ねて下さい。店に一歩入ると、まず目に飛び込んでくるのは、いかにも切れ味が鋭そうな包丁。出刃、小出刃に刺身包丁、三徳包丁。能登町ならではのイカ割き包丁や、コロナ禍で爆発的に拡がったキャンプに使える大人気の能登マキリ(元々は漁師道具)などもあります。
注目すべきは左側の陳列棚。見たこともない珍しい金物製品が並びます。能登の漁師や素潜り海女の要望に応じて製造する海の道具です。「ちょんかぎ」は海女が海に潜る際の重しにもなり、梃子の原理でアワビなどを岩から剥がす道具。使う人の体格や筋力によって大きさや角度が変わります。
漁船から箱めがねで水中を覗いてサザエを挟んで採る金属製の三つ叉漁具は、サザエが外れない様に「返し」が付けられています。様々な海の仕事を効率よく行うための海の道具が、能登の生業を陰で支えているのです。
干場さんが鍛冶屋の家業を継承して約10年。過疎が進む奥能登に根ざしながら、インターネットを活用した様々なアイディアを生み出し、逆に事業を拡大させることに成功しました。父と2人だった鍛冶屋は、今や10人の職人を抱える「企業」となったのです。
現在、職人達の生業を支える事業の一つが「ポチスパ」。錆や刃こぼれが酷く、一般家庭で「もう使えないかな」と考えている包丁を再生するサービスで、ネットで「ポチッ」と注文すれば傷んだ包丁を入れるケースが届き、修理を望む包丁を入れてポストに投函すれば、「スパッ」と切れ味が蘇って帰って来る──というわけです。
職人達の丁寧で確実な仕事が評判を呼び、今や月に約2,000本の注文が届くそう。大手刃物メーカーでは出来ない きめ細かなサービスが奥能登に生まれたのです。
実際の仕事を見せて貰いましたが、本当にサビだらけで「普通は処分するだろう」と思えた包丁が、約20分の研ぎでピッカピカの銀色に! 正直、感動モノでした。大地震の被害に遭った過疎の町。著しい逆境を乗り越えるパワーと知恵が、ふくべ鍛冶にありました。
イベント名 | 能登町宇出津・ふくべ鍛冶 |