レポート
2025.07.14

能登さいはての珠洲 最先端の禄剛埼灯台、修復中

海から登る朝陽と、海に沈む夕陽が見られる珠洲市・禄剛崎

  1. 夜明け間近の禄剛埼灯台
  2. 快晴!日中の禄剛埼灯台
  3. 日没の禄剛埼灯台も美しい

能登さいはての珠洲。そのまた最北端の岬が禄剛崎です。日本海を見下ろす高台の岬に佇むのが、白亜の禄剛埼灯台。この岬は海に対して開けているので、水平線から昇る朝日と、海に沈む夕陽が見られる観光名所。“さいはて感”がハンパないスポットとして奥能登観光のシンボル的存在です。

明治期に作られた禄剛埼灯台の象徴が、フレネルレンズ

  1. フランス製フレネルレンズ
  2. これぞ正に、海の道標!
  3. 全国唯一の「菊の紋章」が!

古来より能登半島先端の沖は、海面下に浅い岩礁帯があって航海の難所でした。そんな海を航行する船の道標として明治期に作られたのが、禄剛埼灯台です。明治初期に政府に招かれ来日したのが、イギリス人の土木技術者リチャード・ヘンリー・ブラントン。海洋国家である日本各地に建設する西洋式灯台を設計したため、「日本の灯台の父」と言われます。
R・ブラントンが帰国したのは1876年・明治9年。禄剛埼灯台は明らかにブラントンの設計を踏襲した外観ですが、完成して燈が灯ったのは明治16年。ブラントンが帰国して実に8年後なのです。それ故、禄剛埼灯台は「日本人技術者による日本初の西洋式灯台」と言われてきました。全国各地の灯台の中で唯一「菊の紋章」が飾られているのも、その証と言われます。

2024年元日の能登半島地震で貴重なレンズが破損し…

  1. 震災でレンズ上部が破損
  2. 今は海上保安部が修理中
  3. 3月にLEDレンズに交換

その禄剛埼灯台が、能登半島地震で破損しました。灯台の最も重要な役割は、海を進む船に光を届けること。明治時代にフランスのバルビエール社が製造した大きなレンズが「フレネルレンズ」。美しい円錐形のレンズが灯光を拡散し、沖を行く船乗り達の命を支えてきたのですが、そのレンズが震災で破損しました。単なるレンズ手はなく、日本の海を見守ってきた明治期の産業遺産なのです。
しかし船乗り達にとって重要なのは、「道標としての灯台の光」。それを維持するためにフレネルレンズは撤去されて、今年3月、LEDレンズに取り替えられました。貴重だったフレネルレンズは廃棄されるのではなく「震災遺構」の役割も持たされて敷地内で展示される予定です。

震災前の禄剛埼灯台3枚組写真は「道の駅狼煙」で買えます!

  1. 岬の先端から見る禄剛崎
  2. 海に白亜の灯台が映える
  3. 灯台看守の生活が伝わる

明治期の日本人技術者たちが建造したと言われる白亜の禄剛埼灯台。震災前の姿と、灯台看守が生活していた白黒写真の3枚組ハガキは、道の駅狼煙で入手できますので、是非!

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イベント詳細

イベント名能登さいはての珠洲 禄剛埼灯台修復中
日程2025年7月13日(日)
場所珠洲市狼煙町・禄剛崎
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