七尾に縁がある安部龍太郎さん
2013年「等伯」で直木賞受賞
七尾湾を望む能登観音埼灯台
富山湾と立山連峰を一望する
9月7日(水)、七尾湾南側にある岬・観音崎を作家の安部龍太郎さんが訪ねました。安部さんは2013年、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した七尾出身の絵師・長谷川等伯の生涯を描いた長編小説「等伯」で、直木賞を受賞した作家。能登観音埼灯台を訪れたのは、文藝春秋社発行の「オール讀物」に灯台探訪の記事を書くための取材です。
能登観音埼灯台の歴史と文化的価値を取材
昭和61年に建て替えられた灯台
昔の四角い灯台敷地には宿舎も
和田学さんの父は監視員だった
能登観音埼灯台は大正2年に石川県が建設しました。当時は四角い形状で、隣には灯台を管理する職員の宿舎もあったのです。昭和61年の機器自動化に伴って宿舎は不要となり、灯台も建て替えられました。
昔の灯台の歴史や地元との関わりを知る人が、現在のと里山里海ミュージアム館長を務める和田学さん。和田さんは、安部さんが「等伯」執筆に際しての取材で、二度ほど面識があったそうです。さらに、父の和田一行さんは能登観音埼灯台の最後の監視員を務めていたとのこと。
観音島には灯りを絶やさない観音堂が
観音堂の灯りも夜間航行の目印
鵜浦町には深い信仰心が根付く
久々の再会で新しい情報を入手
船が七尾南湾に入るためには、1キロほどしか離れていない観音崎と能登島の間の海を通ります。満足な機器もなかった昔、特に夜の航行に灯台の灯りは欠かせなかったのです。さらに鵜浦町の観音島にある観音堂の灯りも命を守る道標となっていました。その伝統を地元の人達は今なお守り続けていて、観音堂の灯りを絶やすことがないと言います。
七尾の海と能登観音埼灯台と観音堂。その物語を安部龍太郎さんはどんな風に伝えてくれるのでしょう。10月21日(金)発売の「オール讀物」11月号で7ページの記事になるということです。楽しみですね。
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